作:>>652
夢。
夢を見ていた。
自分が夢を見ることのできる存在だと知ったのは、自分を取り巻く空間が夢であると知覚できるようになったその瞬間からだった。
つまり自我と知性を手に入れたのと自己の存在を確立したのが全く同時だった。
いわゆる、天才と呼ばれる存在であるのだろうか、私は。
発露の私に、まず浮かび上がってきた思考は思い上がりとも取れるものだった。
……違う。
私は知っていた。
夢や天才などという言葉と、それに準ずる概念。そして、そのことが意味する真実。
私は、夢や天才というものも含めて人間というものを知っていて、私の存在は明らかにその存在を上から見下ろしていた。
私は自分が人間と呼ばれる存在ではないことを、まず認識することにした。
そして自我と私の中のすべての知識がどこから発生したのかを思い出すことにした。
やがて気が付く。それは芽生えたものでも新たに学習したものでもなかった。
あらかじめ、与えられていたのだ。
それが何を意味するのか、私には到底理解できなかった。推測することさえ今は無意味に感じられた。
四肢を伸ばしてみる。
不思議な感覚だった。空気を切る感覚も、弾力も、何も感じられない。
自分の存在する位置を空虚な点と、その周囲の空間として、ただ認識するだけの、そういう場所だった。
有るべき主体が無く、見るべき全体も無い。
空虚の存在を中心とした空間は、どこまで求めても透明のまま、そこにはただ一点の黒い中心点だけがあった。
そして私は自分がその中心点になりきれず、その近くをゆらゆらと漂う虚無なものであると解っていた。
点を見つめる存在が、冷静な自分自身であるということを知っていた。
私は「永遠」と呼ばれるその場所で、独り途方に暮れる。
やがて、私は今しばらくこの夢を見ていようと心に決め、再び意識を閉ざすことにした。
キーンコーンカーンコーン……。
ある夏の昼下がり、どこか弛緩した空気の中に伸びきった弦をかき鳴らすような焦点の合っていない鐘の音が気だるそうに鳴り響いた。
「えー……と、いうわけで、あしたからの夏休み。みんな健康には充分に気をつけて。宿題もまじめにやるように。とくに野比。君は忘れっぽいからな。おかあさんに監督を頼んでもらって、きちんと終わらせてくるんだぞ」
鐘の音の余韻を残す教室内に爆笑が湧きおこる。野比とよばれた少年は大勢のクラスメイトの前で教師に注意されたことで顔を真っ赤にして机に突っ伏すように俯いてしまった。何より母のことを話に出されたのが恥ずかしかった。
「骨川、剛田も。人のことを笑う前に自分のことを振り返りなさい。いいね」
喧騒の中、少年を名指しで揶揄した声の持ち主たちに対して戒めるように教壇の上の教師が発言する。
骨川、剛田と呼ばれたその少年たちは、渋い顔をして気の無い返事をしてみせた。
そんなやり取りの中、教室内はさらに緩やかな春の昼下がりを思い起こさせるような空気になり、明日からの夏休みに想いを馳せる子供たちを鎮めることは無理と判断したのか、一人で話を続けていた教師はやがてどこか諦めるように解散を告げた。
「あー、いよいよ夏休みだなあ。俺は海いったり山いったり……とにかく目一杯遊んでやるんだ!」
けたたましく響く蝉時雨と陽の光に当てられたアスファルトの臭いに眩暈を起こしそうな帰途の道で、先ほど名前を呼ばれた三人の少年達と一人の少女が、それぞれの明日からの夏休みへの心意気や目的、決められた予定などを話し合っている。
「羨ましいわ、たけしさん。わたしは塾とピアノとバイオリンのおけいこで……あんまり遊べないかもしれないの。でも、おばあちゃんの家には行くつもりよ。スネ夫さんは? やっぱりハワイの別荘に?」
「いやー、ハワイもいいんだけどねえ……明日はドラモンファンタジー7の発売日だからねえ。とりあえず、それを終わらせてから行こうと思ってるんだ。やっぱりやるからには一番にクリアしたいからね。 ハ、ハ、ハ」
「おお、スネ夫、ドラファン7買うのかよ! な、な、俺と一緒にクリアしようぜ!?迷宮の謎はすべて、俺様が解き明かしてやるから! な? な?」
剛田と呼ばれた少年は骨川と呼ばれた少年の肩を馴れ馴れしそうに抱いて耳元でそう言った。
「ええー!?」
骨川少年がそれに対し露骨に嫌な顔をして見せる。普段はなるべく負の表情を隠すようにして狡猾そうな笑いを浮かべている骨川少年も、夏休みと新作ゲームソフトの発売を前日にして発揚し、どこか素直になっていた。
「ぼくも! ぼくも!」
それに呼応して今まで静かに話を聴いていただけの、野比と呼ばれた少年が諸手をあげて同意を求める。
「のび太はだめ。のび太がいると逆に謎がこんがらがっちゃってわけわかんなくなる」
「そうだ、そうだ。いっつも0点しか取れないのび太に解けるわけないだろ!」
失笑が起こる。かちん、ときたのか、反射的にのび太と呼ばれた少年は握り締めた拳を胸に当て、演説でもするかのように集団の正面に立ち、叫ぶように反論してみせた。
「なんだよ! そんなテレビゲームの中の冒険なんて……つっまんないの!」
……ああ、またぼくの悪い癖がでた。
心の中ではそう呟きながら、もう無意識に彼は言葉を紡いでいた。
「ぼくは…ぼくは、本当に本当の大冒険にでかけてみせるぞ!」
いっつもこうなんだ……できもしないことを。
「命がけの戦い…迷宮の奥に眠る財宝…誰も解き明かしたことの無い謎を」
ペラペラペラペラと……どうせ、あいつに頼るんだ、ぼくは。
「この僕が、解いてみせる!!」
そう言い切った彼は、興奮とまだ見ぬ未開の地への憧憬と陶酔で顔を紅潮させ、肩で息をしながら全員の反応を待っていた。胸の動悸が速い。
「……のび太ちゃん、本当に本当の迷宮や神秘なんてこの世界にあると思ってんの? 幼稚だなあ、のび太ちゃんは」
しかし、のび太少年のそんな決意は一笑に付されてしまった。
「つーか」
「おまえが命がけの戦いを?」
「ゲラゲラゲラ」
「怪物に」
「出会ったら」
「真っ先に」
「逃げ出すくせに」
「ゲラゲラゲラゲラゲラ」
少女を巻き込んで起こった笑いの渦は、心の中の右手を振り上げたままののび太少年をあっさりと飲み込み、失意と悔恨の底へと引き込んでしまった。
「キ、キィ、クーーーーーーーーッ!!」
形容しがたい嗚咽を漏らしながら、のび太少年は女の子に涙を見せまいと、下を向いて今だ爆笑を続ける集団の中から逃げるように走り去っていった。
やがて彼は、たどり着いた自宅の扉を開けるなり、ただいまも言わず、二階へめがけて思いきり、その名を、呼んだ。
「ド ラ え も 〜 ん ! !」
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